誰もが気軽に入れるように当初のメニューはコーヒーが五銭、ドーナツも五銭。そのほかの軽食も庶民的な価格であった。
一杯のコーヒーでその日の苦労を忘れ、明日の活力を養ってもらうこと、
また静かな雰囲気の中で仲間と語り合える場所であること
水野氏はこの二つを喫茶店の理想としていた。そして日本の文化水準を欧米諸国と同レベルに高めることを望んでいたのである。
そのあたりが、カフェとは名ばかりで女給をおいて酒が売り物で歓楽的に過ごす場所とは一線を引いていた。あくまでも、大衆にコーヒー文化を広めることを使命としていたからである。

当時の銀座店の周辺は新聞社や外国商館が並び、東京を代表する文化の街であった。カフエーパウリスタの向かい側、現在の交詢社ビルの場所には時事新報社があり、同社に出入りする作家や記者などをはじめ、各界の文化人もパウリスタのコーヒーに親しんだ。文学界では、水上滝太郎、吉井勇、菊池寛、久米正雄、徳田秋声、正宗白鳥、宇野浩二、広津和郎、佐藤春夫、小島政二郎と、常連客の顔ぶれもそうそうたるものである。当時の思い出を記した長与善郎の一文を紹介する。
「銀座のカフェーパウリスタへ行き、たしか五銭玉か十銭玉を一つ投ずると、大きな円盤が鳴り出すオルゴール“トラヴァトーレ”を聞き、その中にある急調子のクライマックスのところにくると、大いに執筆の感興が沸き上がるので、それを聞きによくパウリスタに出かけては帰って書いた」
また、時を同じくして近くに開館した洋画専門の活動写真館・金春館は国内初めてフルオーケストラを導入し、こちらも連日人気を博していた。活動写真を見たあと、人々は列をなしてパウリスタに立ち寄った。コーヒーと洋菓子を味わいながらの語らいは、ハイカラな銀ブラ族のみならず、誰もが新時代を体感できるリーズナブルな娯楽であった。大正モダニズム華やかりし頃の光景である。
投稿者 有機コーヒー通販・無農薬コーヒー通販の『森のコーヒー』公式サイト :2007年12月20日