
水野氏が第一回移民を送り込んだ翌年、ブラジル政府は同氏の功績に報いるために、毎年 1500俵の無償供与を約束。併せて日本におけるブラジルコーヒーの宣伝と普及を委託してきたのである。そこで彼は資金繰りに奔走、大隈重信らの後援を得て数名の同志とともに大正元年、サンパウロ州庁専属ブラジルコーヒー販売所を合資会社とし、翌年株式会社「カフェーパウリスタ」を設立した。正社員200余名、従業員2000名を超える大組織であった。
銀座で初めて開店したのは今日の銀座七丁目で、焙煎工場を設けるとともに小規模な喫茶店も開業したが、当初はわずかに洋行帰りか新しいもの好きの一部の人々に飲まれたのみであった。
先述の白亜三階建ての店舗は、現在の交詢社ビルの向かい側に建てられた。その新社屋にブラジルコーヒー普及宣伝のための一大拠点を築いたのである。総面積約300坪、一・二階は喫茶室、三階を事務室と従業員室にあてた。様式はパリの有名な喫茶店プロコックを模し、南米風も加えた画期的スタイル、二階のレディースルームには様式に数寄屋造りを配した和洋折衷の内装が話題を呼んだ。
開店祝いの席で水野氏はこう挨拶した。
「コーヒーを売るのは友邦ブラジルの負託に応えることであり、ブラジル移民の辛苦と努力に報いることであり、かつ日本文化の向上に資することなのだ。カフエーパウリスタはそういう事業を行っているのだという使命感に燃えているから意気込みが違う」
この言葉どおり、カフエーパウリスタはコーヒー普及のための企画を次々に打ち出し、全国的規模で販路拡張に尽力した。人の集まるところに出向いて試飲会を開いたり、学校の運動会、会社の慰安会では無料サービスしたりと、愛好者を増やすことに務めた。

宣伝の方法も奇抜で洒落ていた。身長1メートル80余の大男が、シルクハットに燕尾服姿で美少年給仕を従え、銀座どおりの道ゆく人にコーヒーの試飲券を配るのである。その試飲券には「悪魔の如く黒く 地獄の如く熱く 恋の如く甘い」というコーヒーを表す魅力的なキャッチフレーズが記されていた。
また、女学校出の婦人に上流階級の家庭を訪問させ、コーヒーのいれ方や飲み方を紹介する普及活動もしていた。デパートの洋食器売場にコーヒー茶碗が並び、西洋風の新しい生活への憧れを誘ったのもこの頃である。
こうしてカフエーパウリスタは、午前9時の開店から夜11時の閉店まで椅子を争うほどの盛況ぶりで日に4000杯のコーヒーが飲まれたのである。
投稿者 有機コーヒー通販・無農薬コーヒー通販の『森のコーヒー』公式サイト :2007年12月19日