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第2話 大正モダニズムの騎手 カフェーパウリスタの功績

ブラジル移民の父、水野龍氏の理想が実現したわが国の珈琲文化の幕開け(1)

1804年のわが国初のコーヒー飲用体験記には

紅毛船(オランダ船)にてカウヒイというものを飲む。
豆を黒く炒りて粉にし、百糖を和したるものなり。
焦げくさくて味わふるに堪えず。

とある。記したのは大田蜀山人。コーヒーは江戸時代の美食家の口に合わなかったらしい。明治に入るとわずかながらもようやく喫茶店らしきものが出現しはじめる。中でも日本初の本格的な喫茶店として知られるのは、上野西黒門町の「可否茶館」である。

この「可否茶館」は、コーヒーを飲ませるだけでなく、書籍や書画の閲覧や手紙を書く客のための文房室、シャワー室・更衣室までしつらえ、ビリヤード台もあればクリケット場もあるという、イギリスのコーヒーハウスを模した画期的な店であった。しかし、コーヒーの味だけでなく、その豪華さ高級さが当時の日本人には馴染めず、赤字が続いてわずか四年ほどで店をたたんでしまうのである。

その後も「カフェライオン」や「カフェプランタン」といった高級レストランや芸術家の出入りするサロン風の店はできたが、コーヒーそのものを楽しむ喫茶店の登場は大正の世が明けるのを待たなければならなかった。菜食中心の淡泊な食生活の日本人の舌にコーヒーの味と香りがわかるまで、蜀山人の手記からおよそ100年の歳月を要したのである。



大正2年10月。銀座の街に突如、白亜三階建てのコーヒーハウスが誕生した。この店こそ、後の喫茶業の原型となったともいわれる「カフエーパウリスタ」である。

正面にはブラジルの国旗が翻り、夜ともなれば煌々と輝くイルミネーションに、人々は胸ときめいた。中に入ると北欧風のマントルピースのある広間には大理石のテーブルにロココ調の椅子が並び、海軍の下士官風の白い制服を着た美少年の給仕が、銀の盆に載せたコーヒーをうやうやしく運んでくるのである。しかも、角砂糖にコーヒーの粉を詰め込んだものを「コーヒー」と呼んでいたような庶民が、洒落た空間で本格的なコーヒーを味わう代金として、一杯五銭という価格は破格に安値だった。



こうしてカフェーパウリスタは開店と同時に、誰もが気軽に入れる喫茶店として親しまれていったのである。銀座の本店に続いて、京橋、堀留、神田、名古屋、神戸、横須賀と全国各地に支店を増やし、第一次世界大戦が終わる頃には、22店を数えるまでに至った。

投稿者 有機コーヒー通販・無農薬コーヒー通販の『森のコーヒー』公式サイト :2007年12月19日

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